2025年1月25日PMS合唱団演奏会のバッハ「クリスマス・オラトリオ」 2024年8月

 PMS合唱団の次の演奏会は、J.S.バッハ(1685-1750)の「クリスマス・オラトリオ」。2017年のヨハネ受難曲、2019年のマタイ受難曲以来、久しぶりにバッハを歌えるのはうれしい。 ■クリスマス・オラトリオとは  6つのカンタータ(6部)からなるカンタータ集で、1734年、クリスマスのための教会音楽として作られた。この種の曲はバッハ以外にはあまり作られず、現在に至るまで、クリスマス・オラトリオと言えばこのバッハの曲だ。  クリスマス(12月25日)から顕現節(1月6日)の日曜・祝日に、当時のライプツィヒの聖トーマス教会と聖ニコラス教会で、礼拝のためのカンタータとして1日1部ずつ順次演奏されたのが元々の姿である。6部まとめて1日で演奏したわけではない。  今日のドイツでは、教会のクリスマス礼拝の中で使われるだけでなく、クリスマス・シーズンの演奏会の代表的演目として、各所で演奏されているようだ。日本の年末のベートーヴェン第9交響曲のようなものだが、あちらはキリスト教という強力な背景がある。  初めは教会の礼拝儀式だったものが、音楽ホールで演奏会形式で演奏されるようになったという点は、ヨハネ受難曲やマタイ受難曲と同じだ。作品の音楽性が独り歩きし、ホールで演奏されるようになるのは必然の成り行きと思う。  本来はあくまでドイツの教会音楽だが、日本のキリスト教徒でない者が音楽作品として演奏会で歌う。一合唱団員とすると、根拠が薄く落ち着かない気持ちがあるが、積み重ねられてきた人々の祈りへの敬意、バッハの音楽への敬意を持って臨む考えだ。 ■曲の構成  この曲は、6つの独立したカンタータの集合体である。6つの部はそれぞれ7~14の曲からなり、演奏時間は20~30分。全体では計64曲、約2時間30分の大曲だ。演奏会で取り上げる場合は、6部全体を演奏するのが一般的である。  6つの部は独立しているが全くのバラバラではなく、歌詞内容・調性などは整合性をもって連続している。バッハは、各部独立した演奏とともに、6部全体通しての演奏も少しは想定していたかもしれない。  各部は、それぞれ合唱による序曲(第2部の10番だけは器楽合奏)に始まり、物語を進行する独唱・合唱レチタティーヴォの数曲、自由詩の独唱アリア数曲、合唱コラール(讃美歌)数曲からなる。この点は受難曲と同じだが、物語部分が少ないため、レチタティーヴォ曲や役を持った合唱曲が少ない。その反面、合唱コラールが多い。合唱序曲、独唱アリアは長めで、各部の主要曲になっている。  物語は、新約聖書(主にルカ福音書)からとったエピソードで、6つの部はそれぞれ次のような内容である。   第1部 ベツレヘムにおけるイエス誕生  第2部 救い主誕生を天使が羊飼い達に告知   第3部 羊飼い達のベツレヘム訪問    第4部 幼子イエスの命名   第5部 東方の博士達のヘロデ王訪問   第6部 東方の博士達のイエス礼拝  イエスの誕生前後のいくつかのエピソードだ。言うまでもなく、これらは後になっての創作と解されるが、はじめからアプリオリにイエスが神格化されていて、信仰の無い者にとっては話に入っていけない。  マタイ受難曲において、バッハはイエスを否認してしまうペトロ、密告してしまうユダを、愚かな弱い存在である私たち人間の象徴として描いている。「原罪」と「赦し」というキリスト教の中心教義に基づく描写と思われるが、それを措いて普遍性を持つ人間理解であり、私のような信仰の無い者も共感する。音楽表現としても、その部分は演奏する者、聴く者の心に届き、鷲づかみにする域に達している。  このクリスマス・オラトリオは、イエスの誕生前後何日かの話なので、どうしても淡々としたエピソードであり、ドラマ的要素が無い。せいぜい、ヘロデ王による幼子イエス迫害の伏線が張られる程度だ。イエスの波乱万丈の受難を描く受難曲に比べ、圧倒的に素材が乏しく、文学的観点からすると不利である。6部全体の曲の構成としても山場が無く、感動するような音楽表現に至らない。  バッハがライプツィヒの聖トーマス教会カントールに就任したのは1723年。まず1720年代には膨大な数の教会音楽を作った(教会カンタータ群、ヨハネ受難曲、マタイ受難曲など)。1730年代には公開コンサート「コレギウム・ムジクム」の指揮者として世俗音楽を多く創作した。晩年の1740年代は集大成的な作品を作った(フーガの技法、ロ短調ミサ曲など)。  クリスマス・オラトリオが作られたのは1734年だ。ヨハネ受難曲(1724年)、マタイ受難曲(1727年)を作り終えていて、クリスマスのための作曲の要請があったのだろうか。  バッハは、前年・当年に作曲したばかりの世俗カンタータ(BWV213、BWV214、BWV215)から11曲を転用し、この曲の合唱序曲や独唱アリアなどの主要な曲として改作した。こうした転用・改作をバッハはしばしば行っており、非難するにはあたらない。原曲作曲の時点で、既にクリスマス・オラトリオへの転用を意識していたとも言われる。ただ、ヨハネ受難曲、マタイ受難曲ほどに力が入った作曲ではなかったのかもしれない。 ■印象的な曲  感動に至らない、力が入った作曲でなかった、と書いてしまったが、それはヨハネ受難曲、マタイ受難曲という超絶した作品に比べての話だ。さすがにバッハの作品であり、クリスマス・オラトリオの音楽的な完成度は極めて高く、どの曲をとっても良い曲である。合唱の曲も、美しさとともに奥深さがあり、歌って充実感がある。  中でも印象に残る曲をあげてみる。  1部では、まず、1番の合唱序曲が、ティンパニーと金管で始まり、幕開けにふさわしい晴れやかな気分の曲だ。5番合唱コラールは、マタイ受難曲の「受難コラール」そのものだ。マタイでは厳しく重々しい気持ちで歌ったが、ここでは、誕生するイエスをどう迎えたらよいだろう、という会衆の懸念の表現なので、あまり深刻な歌い方はふさわしくない。かえって難しい。7番はバス独唱と合唱ソプラノの掛け合いが美しい。8番のバス・アリアも堂々とした旋律がよろしい。  2部は、10番の器楽合奏序曲(Sinfonia)が穏やかで美しい曲だ。独立した曲としても広く親しまれている。A.シュバイツァーが天使と羊飼い達の会話と解釈したというが、うなづける。19番アルト・アリアは眠っている幼子を見守る落ち着いた子守歌で、マリアの歌という解釈があるようだ。21番は、合唱が天の軍勢の役で「Ehre sei Gott 神に栄光あれ」と賛美する曲で、冒頭から軽快なメリスマが続く曲だ。歯切れよく歌うことが要求されるが、快速テンポで高い音域も混じるので、バスの私には一番難しい曲である。  3部では、24番は他の合唱序曲に比べて短めだが良い曲だ。29番のソプラノ・バスのアリアも佳曲だが、31番アルト・アリアは、独奏ヴァイオリンとの掛け合いで信仰心を決然と歌い、完成度の高い曲だ。独唱曲の中で私の一推しだ。35番コラールの後、24番合唱序曲をもう一度歌って3部をまとめる。前半1~3部を締めくくる位置づけとも思える。  4部は、36番の合唱序曲が、舞曲風の三拍子リズムに美しい旋律が乗る。合唱曲の中では最も好きな曲だ。38番、39番、40番は独唱に合唱ソプラノがからみ、面白い効果になっている。  5部は、43番合唱序曲がまず良い。軽快に「Ehre sei dir, Gott 神であるあなたに栄光あれ」と歌うが、21番に似て、これも早いパッセージが合唱にとって難関だ。51番の独唱ソプラノ・アルト・テノールの三重唱アリアは、ソプラノとテノールが不安げに、救い主がいつ現れるか尋ね、アルトがここにおられると答える。  6部は、54番合唱序曲はトランペットの祝典の旋律で始まり、全6部を締めくくる雰囲気が感じられる曲だ。55番以降、レチタティーヴォ、アリア、コラールの曲が歌われて、64番は合唱コラールだが器楽合奏の合間に歌う。終曲にしては重々しさが無くあっさりした感じだが、トランペットの華やかなファンファーレで全6部を締めている。