2024年1月20日PMS合唱団演奏会のメンデルスゾーン「聖パウロ」 2023年7月

 PMS合唱団の今度の演奏会は、フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809-1847)のオラトリオだ。  2019年に、バッハの足跡を辿ろうとドイツ・ライプツィヒを旅行した。メンデルスゾーンもこの街で活躍した人で、晩年を過ごした自宅が残り、博物館になっていた。市内の音楽大学に名前が冠されている。指揮をしたゲヴァントハウス管弦楽団も今に続く。街に残る名残を巡って、メンデルスゾーンとの距離が縮まった。 1 メンデルスゾーンとバッハ  メンデルスゾーンのオラトリオ、この「Paulus 聖パウロ」(1836)ともう1曲の「Eliasエリヤ」(1846)は、キリスト教の物語を題材とし、合唱とアリア、レツィタティーフというスタイルであり、コラールも挟まれていて、バッハのオラトリオ「マタイ受難曲」から多大な影響を受けて作られたことはすぐに見てとれる。バッハへのオマージュとして作られたように思う。  作曲家であり指揮者であったメンデルゾーンは、バッハの死後約100年間演奏されずにいた「マタイ受難曲」を1829年ベルリンで復活上演して甦らせ、今日、バッハの最高傑作と評されるまでになるきっかけを作った。ドイツ・ロマン派の人であり、バッハの譜面そのものでなく、かなりアレンジを加えた演奏だったようだが。この時にマタイ受難曲を研究したのだろう。7年後にオラトリオを自作するに至ったと思われる。  世に知られるバッハの受難曲は、マタイ、ヨハネの両受難曲だが、残るマルコ、ルカの福音書を題材にメンデルスゾーンが受難曲を作る可能性は無かったのだろうか。  実際にはメンデルスゾーンは、ユダヤ教からキリスト教に回心した使徒パウロがテーマのPaulus(聖パウロ)、10年後に旧約聖書の代表的預言者のエピソードからElias(エリヤ)を作曲し、晩年にキリストがテーマのChristus(クリストゥス)を作りかけて未完成となった。  メンデルスゾーンとキリスト教との関係から考えてみたい。 2 メンデルスゾーンとキリスト教  所属するPMS合唱団では、2017年4月にバッハのヨハネ受難曲、2019年2月にマタイ受難曲を演奏した。私は、バッハの音楽の、どこをとっても破綻の無い完成度の高さ、音楽としての素晴らしさにすっかり圧倒された。その後、他の作曲者の作品を歌って、ずっと物足りなく感じているほどだ。  ただ、一点、歌詞に「ユダヤ人」が何度も出てきて、あまりに悪しざまに扱われていることに違和感を感じた。ユダヤ民衆が、(イエスを十字架刑にせよ)「その血の責任は我々と我々の子孫の上にかかっても良い」という強烈な言葉を放ったという一節まである。イエス受難の咎を、ユダヤ人、ユダヤ教徒に一方的に負わせている。  先の言葉はもともとマタイ福音書27章25節にある。M.ルターがドイツ語訳した新約聖書の中の言葉だ。バッハは熱心なルター派信者として、そのままこれを歌詞にしている。その新約聖書とは、イエス刑死後にキリスト教が成立していく時代、ユダヤ教との熾烈な対立があり、それを体験した複数作者の文書が綴じあわされて成ったものだ。ユダヤ教への敵視が、「血の責任」云々の潤色となっていると見るべきだろう。  しかし、マタイ受難曲のこうした歌詞は、ユダヤ人、ユダヤ教徒の人々からすれば、演奏するのも聞くのも耐えがたいだろう。  メンデルスゾーンはユダヤ人である。その彼が、マタイ受難曲を甦らせ、オマージュの曲を作った。これはどういうことか。  メンデルスゾーンはユダヤ人としての出自をどう考えていたのか、キリスト教との関係はどんなものであったのか。本人がまとめて考えを記したものはないようだが、メンデルスゾーン家の精神的伝統が背景にあるのは間違いない。  伝統は、祖父のモーゼス・メンデルスゾーン(1729~1786)から始まる。モーゼスは、ユダヤ人貧困階層の子として生まれ、独学で哲学を学び、数々の論文を著し、哲学者、啓蒙思想家としてヨーロッパに名を轟かせた。ユダヤ教徒でありつつ、啓蒙主義の普遍的理性と宗教とを結びつけようとし、ユダヤ教・キリスト教などの個別宗教を超えて共通する真理を求めた。当時蔑視されていたユダヤ人共同体の代弁者として、キリスト教国家との間に立って、問題の調停、救済にあたり、市民権が与えられるべきことを訴えた。ユダヤ人、ユダヤ教に立脚しつつ、知の世界で枠組みから飛び出た人物だ。  モーゼフの長男ヨーゼフは「メンデルスゾーン銀行」を1795年に創立し、次男アブラハム(メンデルスゾーンの父)も参加した。銀行はユダヤ人社会にとどまらず、ベルリン最大の私営銀行になった。ナチス政権下の1939年に反ユダヤ思想によって解散させられるまで、ドイツを代表する大銀行として繁栄した。アブラハムは、愛国的ドイツ人となり、ベルリンの市参事会員にもなった。銀行経営のかたわら、夫人とともに錚々たる顔ぶれの学者、芸術家を招き、自宅は一大文化サロンになっていたようだ。実業家として、さらに教養人・文化人としてキリスト教社会に進み入り、ユダヤ人、ユダヤ教の枠組みから抜け出ていったのだ。  アブラハムは、モーゼスから受け継いだ普遍的理性に根ざした宗教観で、ユダヤ教へのこだわりが少なかったのだろう。生まれた子ども達にキリスト教の洗礼を受けさせ、自身もユダヤ教からキリスト教に改宗した。ユダヤの出自から子ども達を解き放ちたいと願ったのかもしれないが、願いどおりに行かなかったようだ。裕福なユダヤ人金貸し、という反ユダヤのイメージ類型そのままの一家であり、陰で差別、憎悪の標的にされただろう。子ども達は学校に受け入れられず、家庭教師や両親から学んだ。その教育は、歴史、文学から自然科学、芸術など、幅広く高度な内容で、フェリックスは音楽だけでなく幅広い教養を身につけた、読書を好む知識人となった。祖父モーゼスはフェリックス誕生の23年前に亡くなっており、祖父から子ども達が教えを受けることは無かったが。  姉ファニーとフェリックスが生まれ育ち、非凡な音楽の才能を伸ばしたのは、そうした只ならないメンデルゾーン家の文化環境、宗教環境の中だったのだ。弟パウルも、のちのち銀行家を継いだがチェロを弾いたという。メンデルスゾーンというと、お金持ちの御曹司で苦労知らずの軟弱男、といったイメージがあったが、そんな類型に収まらない骨のある人物だったようだ。  後に、父アブラハムは、子ども達にメンデルスゾーンからバルトルディに改姓することを勧めた。フェリックスはそれを拒み、メンデルスゾーンの姓を使い続けた。ユダヤ人としての出自にこだわりがあったのだろう。  フェリックスがどのような宗教観だったのかはわからない。ルター派プロテスタントだったが、熱心な信徒だったという説もあり、そうでなかったという説もある。彼固有の、単純ではない宗教観を持っていたのではないか。  フェリックス・メンデルスゾーンが、反ユダヤ的な文言を含むことを承知しながら、バッハのマタイ受難曲を復活上演したのは何故か。純粋に作曲家、指揮者の目で、音楽作品としてバッハのこの曲を評価したためと思う。キリスト教の本質がそこにあるわけではない、とも考えたのではないか。  バッハにとって受難曲は神に捧げる作曲であり、教会で宗教行事として演奏するためのものだった。メンデルスゾーンは、受難劇=宗教行事ではなく、鑑賞する音楽として劇場で上演した。メンデルスゾーンのオラトリオ2作品は、はじめから劇場演奏用の音楽作品だ。キリスト教と音楽の関係も違ってきていたのだろう。  メンデルゾーンのオラトリオは、Paulus、Eliasの2作品、未完だったChristus、実はいずれも主人公がユダヤ人であり、その点が共通項だ。  オラトリオPaulusのパウロは原始キリスト教時代の聖人だ。もともとユダヤ教徒でキリスト教を迫害していた立場だったが、回心してサウロからパウロに名を変え、キリスト教の布教に努め殉教した。メンデルスゾーンがパウロをテーマに選んだのは、何らか、自分を重ねる気持ちがあってことだろう。最も単純な解釈は、ユダヤ教からキリスト教に改宗した自身の正当化だが、メンデルスゾーン家の精神文化の伝統からすると、もっと奥深いものがあると思う。  次の作品 Eliasの主人公エリヤは、旧約聖書に記され、ユダヤ教においては最大の預言者である。イエス以前の物語だが、これをわざわざ題材にするのは何故か。共通の大預言者を再解釈して、ユダヤ教とキリスト教を相対化する意図なのか。  未完のChristusは、キリストがテーマだが、どんな物語にしたかったのだろう。新約聖書の福音書に取材するなら、イエスの誕生から受難・復活までの物語になる。受難に焦点を当てれば、ユダヤ人・ユダヤ教が悪者というバッハと同じ物語になるが、果たしてどうするつもりだったのだろうか。イエスその人もユダヤ人に他ならず、ユダヤ教内部からの改革活動をした人だった。そこに光を当て、ユダヤ教とキリスト教に共通する真理を提示して橋掛けする構想だったのでは、などと想像してしまう。  あのモーゼス・メンデルスゾーンの孫なら、ユダヤ教、キリスト教の枠組みの超越を考えて不思議はない。 3 「Paulus 聖パウロ」の音楽  メンデルゾーンの人物の背景が興味深く、つい長くなったが、音楽と人物は一応別物だ。本題のPaulusの内容について書こう。  Paulusは2部構成で、第1部は管弦楽による序曲で始まる。コラール「目覚めよ!と我らを呼ぶ声あり」のフレーズが使われるが、この「目覚め」こそが第1部の、また曲全体の中心主題だ。交響曲のようにも聞こえる力強い序曲だ。  第4曲から第13曲は、ユダヤ教徒時代のサウロ(後のパウロ)が描かれる。キリスト教迫害の先頭に立っており、キリスト教を伝道するステファノを断罪し、石で打ち殺せと民衆が殺害する場に立ち会っていたというエピソードだ。さりながら、サウロはほとんど登場せず、むしろステファノに光が当てられて、殉教に至る経過が丁寧に描かれている。  第4曲のバス二重唱部分は、今回、合唱テノール、バスが歌う。ユダヤ教側の数人の証人が「この男(サウロ)が聖なる場所と律法を冒涜するのを聞いた」と偽証する内容なのだが、美しい旋律で、歌い方次第で抒情的となり、そう歌うと心地よい。しかし、ここは心情を歌い上げる場面ではない。冷淡に証言しなくてはいけない。  第6曲の最高法院でのステファノの長く立派な立論(テノール独唱)、これを擁護する第7曲の美しいソプラノ・アリアも聴きどころだ。  ステファノが石打ちにされ殉教する場面は第8曲、第9曲。第8曲の合唱はユダヤ人民衆の役目で「Steiniget ihn! あいつを石で打ち殺せ」と叫ぶ。この言葉は、マタイ受難曲でイエスに向けて発せられた、まさに同じ言葉だ。  第11曲の合唱は、ややこしいが今度はステファノを葬るキリスト教徒達の役目だ。合唱バスで始まり、静かで美しい旋律で「たとえ身体は死んでも魂は生きる」と悼む。  第13曲のアルト独唱は、そんなサウロを神は忘れてはいない、と暖かく歌って物語の展開を導く。  第14曲から第22曲は、サウロの回心のエピソードを描く。神の啓示、失明と治癒の体験、目覚めを描く。第14曲の神の啓示(女声合唱がイエスの声だ)、第15番「起きよ!光を放て!」の合唱フーガ、さらに第16曲コラール「目覚めよ!と我らを呼ぶ声あり」が覚醒を祝福し、ファンファーレが何度も鳴る。この3曲が第1部の中心であり、全曲の中心でもあると思う。  第18曲のサウロの祈り(バス・アリア)は、「神よ、その慈しみをもって私を憐れんでください」と祈り、布教することを誓う。第20曲は、サウロ(バス独唱)の感謝の祈りに続いて、合唱が「主はあらゆる人の涙を拭ってくれるでしょう。主がそのように語ったのですから」と落ち着いた旋律で繰り返す。ポリフォニーの古典的対位法と、半音進行などロマン派的要素が融合した佳曲だ。第21曲でサウロの失明が治癒され、第22曲合唱が神の叡智を賛美する。第22曲もロマン派的な対位法だが、第1部の終曲にふさわしい、より複雑な構成の大曲だ。  第2部は、回心したサウロが名をパウロと改め、各地を伝道していく姿を描く。  第26曲合唱は、キリストの福音を伝える使者としての至福を歌うが、幸福感にあふれる美しい曲だ。(英国のヴィクトリア女王は、メンデルゾーンの音楽を好み、彼を宮殿に何度も招いた。とりわけお気に入りの一つがこの曲で、自ら、アルバート公とともに歌ったという。)  とはいえ未信仰者への伝道・布教は容易でなく、様々な摩擦、対立がある。第29曲は、小アジア(現在のトルコ)での伝道旅行で、パウロの同胞であるユダヤ人達が「あいつはエルサレムで(キリスト教徒を)迫害していたのじゃなかったのか」、「嘘つき、裏切者だ」とささやき合うシーンだ。ここで合唱は悪役ユダヤ人達で、「Weg mit ihn! 彼を殺せ」という激しい言葉まであるが、旋律はどこか抑制され、理性が保たれている。むしろ、根拠を持って堂々としている印象すら受ける。さらに第29曲の後半は、キリストへの帰依の祈り(コラール)になる。ユダヤ人達の妨害にかかわらず、キリストへの信仰は揺るがないということか、この曲は複雑だ。  第30曲からは、バルナバとともに異邦人への伝道に転じたパウロを描く。第36曲は、パウロ(バス独唱)が諄々と説教する曲だ。合唱が「私達の神は天におられ、・・・」と引き継ぎ、重ねて合唱第2ソプラノがゆったりしたコラール旋律で「我は唯一の神を信ず」と歌う(他の四声部に溶け込んで、聞き取りにくいかもしれないが)。この曲が、内容としても曲の規模からも第2部の中心だろうか。  しかし、第36曲の説教を聞いて異邦人はかえって反発し、第38曲でユダヤ人とともに暴動になり、「Steiniget ihn! 石を投げろ、殺せ」と、合唱が第1部の聖ステファノ迫害の場面と同じ旋律で同じ言葉を叫ぶ。迫害側だったパウロが、今度は迫害される身になって場面が再現される。  その後は、第41曲から第43曲でパウロの3度め、最後の伝道への旅立ちを描く。合唱の第42曲、第43曲はそれぞれ美しい曲だ。第44曲でパウロの殉教を暗示し、第45曲で主を賛美して終わる。  パウロの成し遂げたキリスト教布教の功績をもっと描き、有終の美として幕を閉じて良さそうだが、伝道がうまく行かなかった話のままで終わってしまい、いささか腑に落ちない幕引きだ。  このオラトリオの主題がパウロの「目覚め」、回心とすると、既に第1部で曲全体のクライマックスが置かれ、第2部は目覚めたパウロが伝道に邁進する話であり、文学として見ると掘り下げが足りない感がある。第1部のパウロの目覚めは、迫害していた立場のサウロが一転してイエスへの帰依に至る過程を描くが、どうしてそうなったのか、サウロ/パウロの内面の描写は全く無い。第18曲バスの独唱がサウロの独白だが、過去の自分を悔悟してどうしたら良いか逡巡・葛藤するといった描写は無く、いきなり「神よ、私を憐れんでください。私の罪を拭い去って下さい」と、信仰者の祈りになっている。人間パウロではなく、聖人パウロの啓示の場面ということだろうが、キリスト教門外漢としては共感するものが無い。  第2部のポイントは、やはり第29曲ではないかと思う。この曲の前半は、合唱の「彼はエルサレムで迫害していたのではなかったか?」で始まり、「虚言者を黙らせろ」、「彼を殺せ」となるが、誰が誰に言っているセリフなのだろうか。第28曲のレツィタティーフの文脈から素直に読めば、ユダヤ人達の仲間内で交わされた言葉で、ユダヤ教徒達がパウロの変節を非難していると読める。  指導の松村先生からは、一部のキリスト教徒達の声という説明があった。パウロの回心、ユダヤ教からキリスト教への転向について、キリスト教徒内部からも不信の声が上がった、という解釈も確かにあり得る。第29曲前半は女声も含んだ合唱であり、そうした非難が広がりをもった、という表現かもしれない。ただ、「殺せ」まで言うだろうか。  ここでさらに掘り下げて、この第29曲前半は、聞こえてくる非難の言葉がパウロの内面で反響している、と読めないだろうか。自分の過去の行状を知る同胞ユダヤ人に、まるで伝道が通用しないパウロ。キリスト教徒側にも信用されない、無力な転向者であるパウロ。自分を非難する言葉はもっともであり、パウロの内面に響き渡る。  それでも、第29曲後半のコラールが「おおイエス・キリスト、真の光よ」と歌い、そんなパウロ、疑うキリスト教徒たち、さらにユダヤ人達をも包み込む。  無理な解釈かもしれないが、第29曲をこのように考えると、物語は違って見えてくる。メンデルスゾーンは、第2部を聖人パウロの英雄的な成功物語ではなく、挫折し続けて最後は死を覚悟の伝道に旅立つ一転向者の物語として描いたのではないか。  個人の勝手な解釈は広がるが、それを脇に置いて歌詞を素直に読む限りでは、文学的にはやはり退屈と言わざるを得ない。しかし、音楽として評価すると、メンデルスゾーンは全ての曲を実によく作り込んでいる。バラエティに富む美しい旋律が次々と展開され、退屈することがない。  合唱を歌う立場から言えば、Paulusはやはり良い作品と感じる。  まず、どの曲も完成度が高い。先に述べたように、第4曲や第29曲は歌詞の意味内容以上の美しく立派な曲になっている。他の曲も、どの曲のどの部分も手を抜くことなく、雑と感じる箇所が無く、音楽として上質なのだ。繊細、軽やか、気品、といった印象を受ける。どの合唱の曲も、歌って心地よく美しいので、歌いがいがある。  メンデルスゾーンは、幼少時代から音楽の才能を発揮し、モーツァルト以来の神童と言われるほどだったという。9歳で人前で演奏して12歳で作曲を始め、16歳で既に代表作となる水準の室内楽曲を作り上げている。マタイ受難曲の復活上演を成し遂げたのも20歳の時だ。生きている間に、それも若い頃から、既に大音楽家、大指揮者としての評価を得ていた。作曲家として抜きんでていて、逆にお粗末な曲を作ることができない、片手間に作っても水準以上の曲になってしまう、そんな人だったのではないか。  バッハ、ベート-ヴェン、シューベルトら先人の作品をよく研究し、高く評価していた。初期ロマン派の人だが、様式を破って個人の感情を自由に表現するより、古典派的な様式を基礎に置き、完成度を重視する保守的な作風だったようだ。ことに合唱では、当然のことだが対位法、フーガが多く使われる。  バッハの受難曲は八分音符、十六分音符で舞曲のようなリズムで進むが、メンデルスゾーンは対位法の部分でも、より長い二分音符、四分音符を使い、抒情的だ。半音進行のフレーズもよく使われる。このあたりはやはりロマン派的だが、遠隔調への転調や不協和音の多用は無い。  結果として、歌っていて各パートが「おいしい」ことも特徴かもしれない。特に、内声パート(アルト、テノール)にとって、一般の合唱曲では和音の辻褄合わせで歌いにくいフレーズがあるものだが、Paulusはそれが少なく、逆に、主役として他パートをリードする箇所が多く設けられている。内声パートも「おいしい」曲なのだ。合唱を歌ってこれを嫌う者は無いだろう。  1月から練習を開始し、最後の第45曲まで一巡してさらった。あと半年、演奏会に向けて表現を練り上げて行くことになるが、この曲の場合は練れば練るだけのことがありそうで、楽しみだ。