合唱の個人練習 - こんなふうにしてます 2016年12月

 私の所属するPMS合唱団は、だいたい年に一度のペースで演奏会を開催している。曲目が決まって、演奏会を目標に1年間練習することになる。  合唱団の練習は週1回である。練習はその時だけ、という猛者もいるかもしれないが、私を含め多くの団員は、練習日以外にそれぞれ自分で個人練習をしているだろう。しっかり歌うため、皆の足を引っぱらないためには、やはり自宅での練習が要る。  この個人練習は、各自に任され、やるやらないを含め、頻度も内容も自由である。  曲の音取りができて通して歌えるようになりしばらくすると、少々気持ちがダレ、ついついサボりがちになる。(*個人の感想です)  プロの演奏家は、歌手も器楽奏者も、何時間もの個人練習を毎日重ねているのだろう。才能乏しいアマチュア合唱団員が練習もしない、それではお話にならない。週2,3回でも、短時間でも個人練習をすべきなのだろう。そして、せっかく練習するなら漫然とでなく、目標を考えながらの効率的な練習が良い。  そんなことを考え、個人練習をどう進めるか、何に留意して練習するか、時期ごとの個人練習を改めて整理しておくことにした。  今の私の個人練習のし方ということで、これが最良、お勧めということでは全くない。合唱をなさる皆さんはどう練習しておられるか、お教えいただければありがたい。そうした情報は、ネット上でもあまり見かけない。自己流をさらすのはお恥ずかしいが、ノウハウを交換して、より良い合唱ができればと思う。 ■練習初期の個人練習 【音取り】  新しい曲の練習は、まず音取りだ。  所属している合唱団では、毎年、次のように書かれた紙が渡される。「PMS合唱団は、基本的な音取り練習はいたしません。それぞれの責任に於いて、十分な準備をして参加してください。」  合唱団の練習とは、各自がおさらいをした上で臨むレッスンなり。そういうことなのだろう。そう言われてしまっては仕方ない。ヘボ合唱団員の私は、必死に音取りをして団の練習日に臨んでいる。  音取りは、人それぞれのやり方があるようだ。  初めて見る楽譜を読みながら歌うことができる「初見視唱」がきく人は、音取りも早いのだろう。私は、ごくごく簡単な曲以外、初見は無理だ。キーボード(ピアノを持たないので、パソコンに接続する KORG microKEY-37)を使い、音を確認しながら練習している。  また、楽譜を読むのに、固定ド派、移動ド派がある。絶対音感、相対音感が強い人は固定ドで音がイメージできるのだろうけれど、そうでない私は、移動ドでようやく音をイメージしている。昔の学校教育は移動ドだったのだ。まあ、調性を感じることになるので良いのでは、とも思う。  楽譜を読むより、音取り音源を探して聴いて覚えてしまう、という人もいるだろう。いずれ記憶することは必要になるので、それも方法だ。私はそれも併用している。  私の音取りの流儀は、次のようなものだ。  まずは、合唱団の練習日に、どの曲まで初練習が進むかを予測する。  たいていの合唱曲は、1~10分ほどの小曲の集合であり、一曲一曲練習していく。練習の進み具合を予測して、新曲を予習しておくことになる。  合唱団が初めて取り組む曲の場合はゆっくり練習が進むが、モーツァルト、フォーレのレクイエムなどでは、進みが早かった。余分に予習しておけば安全だ。  音取りの事前準備として、私は、まず自分のパート(バス)の音符に、移動ドで全てドレミファをふってしまう。複雑な調の五線譜では、じかに移動ドで読めないので、鉛筆で書き込んでおくのだ。転調している箇所では、転調後の階名を併せてふることもある。  その作業のついでに、ここはバスからの歌い出だしだ、ここから繰り返し、ここはフーガだ、など、曲の構成をざっと見ておく。  それから、楽譜を見ながら、キーボードで弾く、音取り音源があれば聴くを繰り返す。5~10回繰り返すと、曲に馴染んで覚えてくる。  次に、キ―ボードや音取り音源に合わせて、ハミングや移動ドで歌うことを繰り返す。これも5~10回やると、大まかには旋律を歌えるようになる。  次に、旋律に歌詞を乗せて、またもや5~10回繰り返し歌う。  PMS合唱団で取り上げるのは教会音楽が多く、歌詞はラテン語、ドイツ語、英語などになる。発音がわからない場合は、調べて読めるようにする。ネット上には、他の合唱団のサイト、一般の語学学習のサイトなど、かなり情報があるものだ。  この時に、ラテン語ならアクセントがある母音、ドイツ語なら長母音をマークしておく。ネットで情報を得られないなら辞書を引く。その効果についてはのちほど。(ラテン語のアクセントは、後ろから2番目、もしくは3番目の音節にアクセントが来るのが規則だが、辞書を引いてもどちらか分からない場合がある。逆引きアクセント辞典といったものがあると良いのだが。)  曲冒頭の出、長い休符後の出は、伴奏や他パートに手掛かりになる音を探し、出られるように練習する。  こんな方法で、結局、やさしい曲なら計15回くらい、難しい曲は30回くらい繰り返すことになるが、それでだいたい音が取れて歌えるようになる。まだ、つっかえる箇所、不安な箇所があるが、それはまた先のことだ。  ソルフェージュの能力の高い人なら、新曲視唱が効き、ここまでの段階に即座に至るだろうが、そうでない私は何日かかけてやる他ない。しかし負け惜しみを言えば、自分の方法も譜読みという点で悪くないと思っている。時間をかける中で、着実に音が取れるだけでなく、曲の構造分析、歌詞の発音分析までも自分なりに行うことになるからだ。われらアマチュアは、新曲の音取りを即座に求められることなど無いのだ(稀にあって困るが)。ゆっくり着実のスロー・ソルフェージュがよろしい。  私の音取りの要点は、移動ドでドレミファをふること、繰り返し歌うことだ。  ある時、私の楽譜を見た人に、このドレミファと、繰り返し練習の「正」の字の数を笑われてしまった。合唱歴が長い人から見て、あまりの素人くささにあきれたのだろう。  われながら格好が悪いが、これがヘボな自分に合ったやり方だ。移動ドでふってあると音取りの助けになる。後々も、音程の飛躍で音が取りにくい箇所など、音をイメージする助けになってくれる。  合唱団の初練習では、まず全パートで1曲を通して歌う。無論、歌詞を付けて。全パートが合わせて歌うと、4声部重なった全体像が浮かび上がる。こういう曲だったか、と少し感動する瞬間だ。これがあるので、音取りの個人練習も嫌いでない。  その後、各パートごとに歌って、曲の構成、主旋律・副旋律、拍子、リズム、和音、演奏記号、などの譜読みをする。危なっかしい音程の注意、歌詞の発音の修正などもある。最後に、もう一度、二度通して曲を歌い、初練習は終了だ。  多くの団員がちゃんと音取りをして歌えるようになって臨んでいることには、いつも感心する。初日の演奏で、結構音楽になっているのだ。やれやれ、自分も練習しておいて良かった!  こんなプロセスで次々と曲を進め、全曲終われば練習初期の段階は終了となる。なるべく早く終えて、次の音楽づくりの段階に進みたい。個人練習で、早期にしっかりと音取りを自習するよう努めている。 ■練習中期の個人練習  音取り、譜読みが済めば、練習中期に入り、音楽づくり、表現の練習段階に入る。PMS合唱団の指導では、  ①繰り返し歌って曲を記憶に定着させること、  ②音程やリズムを揃え、アンサンブルとして向上させること、  ③歌詞に基づくアーティキュレーションやフレージングで表現性を高めること、 を並行して練習していると私は考えている。(この①、②、③は、先生がそう言っているわけではなく私の解釈です。的外れかもしれません。)  個人練習も、こうした練習目標を念頭に置くことで、より効果的になるだろう。①、②、③それぞれに関して、私は次のように個人練習している。 【①:曲の記憶・定着】  音取りがひととおり済んでも、音程や歌詞が身についていない段階では、あちこち不安があり、及び腰の歌い方になる。思うように歌い方をコントロールするには、旋律と歌詞をある程度記憶し、次のフレーズが自ずと出てくるような状態にしなくてはいけない。また、ある程度記憶していないと、楽譜から顔を上げて指揮を見ることができないことにもなる。  練習するうちに自然と覚えるものではあるが、一曲をしっかりと歌える段階になるためには、記憶というプロセスが案外、重要と思う。  このため、個人練習でも、曲を記憶に定着させることを意識するようにしている。スポーツでも、語学でも、あるいは手仕事でもそうだと思うが、身につけるには、身体を動かしながら繰り返す、と言われる。歌も、繰り返し歌うことで、口が覚え、脳の回路に定着するのだろう。  実際的には、記憶・定着を目的とした個人練習を特別に行わなくても、下記の②、③の個人練習をする中で、楽譜を繰り返し見て歌うので、同時に行っていることになるだろう。  音の跳躍で音程を取りにくい、歌詞が音に乗りにくいなど、特に音取りに不安がある箇所は、そのフレーズを5回、10回と繰り返し歌い、口に慣らして記憶してしまうのが早い。そうして練習して一晩眠ると、翌日には意外に定着してできるようになるものだ。不十分な場合は、さらに一度、二度それを繰り返している。 【②:アンサンブルの向上】  音取りが済み、間違った音を出さなくなってからのことだが、音程の精度を上げることが次の課題になる。  パートとして同じ音を出しているつもりなのだが、音程の微妙な違いがあると、「パート内で意見が合ってないよ」「音が滲んでいる」などの注意がある。音の微妙なずれのことだが、私の耳では、大幅なずれはともかく、微妙なずれは判別できない。注意されて、自分のイメージする音に自信が無くなり、一層分からなくなってしまう。  パートの音程が一つに揃い、他パートと合わせて純正律のハーモニーができれば良いのだが、全員が音程を揃えるのはとても難しい。それができた時、音の波長が揃って音量が大きく聞こえ、また、倍音が空間で合成されて新たな音が聞こえるという。歌っている自分達としては聞こえないが、よその合唱団を客席で聞いた時、上手にア・カペラ曲を歌う少人数女声の「アンサンブル・ピノ」だったが、このことかな、という経験をした。  東京混声合唱団の指導者田中信昭氏の「絶対!うまくなる 合唱 100のコツ」(2014 ヤマハミュージックメディア)を読むと、「正しい音程=合う音 ではない」「その場に鳴っている、ほかの音にあっていない声は、正しい音程だったとしても外れています。とくに能力があると思っている人ほど外れてしまうことが多い」「合唱をするときには、『自分の歌がみなと合っているか』がもっとも大切です」と書かれている。  田中氏の記述は逆説的で分かりにくいが、自分は正しい音程だと独りよがりで歌うのはダメ、周囲をよく聴いて互いに合わせることが大切、ということだろうか。合う音というのは、パート内の揃えとともに、他パートとの澄んだ純正律のハーモニー、ということだろうか。  田中氏は、純正律は現代の多彩な和声の曲や、日本民謡のような独自の音階の曲には不向きであり、(どんな曲も)純正律で歌うことが目的ではない、とも書いている。  楽譜に書かれた音全てについて、全員の音が合った純正律のハーモニーにすることは、実際のところ不可能だ。目立つのは長い音価の協和音だろう。まずは、平均律での音取りを各自がしっかり行っておき、ポイントになる箇所で互いに音程を合わせて揃える、ということになるのだろうか。  音程を良くする個人練習としては、音取りの延長になるが、音取り音源を聴きながら歌う練習をさらに行っている。まずは、平均律の音程でパートの旋律を正確に覚え、自信を持ったイメージで音を出すためだ。  ある程度これを行ったら、同様の練習を、市販の演奏CDに変えて行っている。平均律の音取り音源で音を覚え、正しい音程としてあまりに強くイメージしてしまうと、田中信昭氏の言う独りよがりな歌い方になってしまうかもしれない、と思うからだ。  本来、合唱団の練習日に皆と一緒に歌い、周囲の生の音を聴きながら、音程を合わせていく相互作用こそが大事な練習なのだろう。しかし、個人練習は一人なのでそれができない。次善の策として、演奏CDで各パートが歌うのを聴きながら、これに音程に合わせて歌う練習をしている。  その上で、合唱団の練習でお互いに合わせていく意識で歌えば、合った音になるのだろうか。  自分の歌を録音して音程を確認する、という人も少なくない。PMS合唱団の練習日には、多くの人がICレコーダーで録音をしている。自分の出している音を聴きながら歌うことは難しいので、録音した音をあとで客観的に聴いて確認するというのは、個人練習の良い方法なのかもしれない。  アンサンブルの向上のためには、音程の精度を上げること以外に、様々な要素がある。テンポを合わせること、リズムを正確にすること、出や切りを揃えること、声の音色を揃えること、などなど。音程の大きい跳躍、16分音符の早いメリスマなども、遅れたり、走ったりしがちだ。  これらも、合唱団の練習日に周りの生の音を聴きながら、合わせて歌う練習が大切だ。個人練習としては、演奏CDで各パートをよく聴きながら歌うことが、練習になる。自分がしっかり歌えるようになっていないと、周囲を聴く余裕無いままに歌い、テンポのずれに気づかなかったりするものだ。 【③:アーティキュレーション、フレージング】  合唱団で歌うのは大半が教会音楽で、ラテン語、ドイツ語、英語などの歌詞である。われら日本人にとっては、カタカナ発音ではない、外国語らしい発音にすることが課題だ。カタカナ発音から脱するためのポイントは、次の2点と考えている。  一つは、子音、母音の発音そのものの違いだ。これはもう、その言語の発音を口や舌の動きをフル稼働させて練習し、口に慣らすほかない。  東京外語大学のサイトに「言語モジュール」という一般向けオンライン講座があり、各国語(残念ながらラテン語は無いが)の発音を聴いて学ぶことができる。これは参考になる。この大学ならではの立派な社会貢献だ。  さらに、歌の場合には、子音と母音の分離ということがよく言われる。日本語では子音と母音を合わせて一緒に発音するが、外国語では分けて子音が聞こえるように発音しなくてはいけない。母音を拍に乗せ、子音は拍の外(前、後)で、ということも言われる。子音の発音を意識し、少し時間を長く発音するというが、私はまだまだ上手くいかない。  子音、母音は、個人練習の課題の一つだ。  もう一つのポイントは、音節の均等・不均等の違いだ。  複数音節の語の場合、日本語ではどの音節も均等にはっきりと発音する。日本語では、音節を強弱、長短で変えず、均等に発音している。抑揚は音の高低でつける。  これに対し外国語では、アクセントの音節は、そうでない音節より音が高くなるほか、強く、長くなる。音節を不均等に発音するのだ。  そのように書いている本を読み、なるほどと膝を叩いた。確かに、各音節を均等にはっきり発音するとカタカナ風になり、不均等に発音すると少し外国語風だ。  PMS合唱団では、この2点のポイントについての指導がよくある。  前者は発音そのものの指導だが、後者は各単語やフレーズの発音に即したアーティキュレーションやフレージングの指導であり、歌に表情をつけることにもなる。  後者について、もう少し詳しく記す。  ラテン語の単語 benedictus を例にとれば、仮に四分音符4個で be-ne-dic-tus と同じ音価で並んでいても、均等に歌うのではなく、アクセントの音節 dic が強め、かつ長めに歌われる。be-ne は、アクセントの dic に向かって cresc. して密度を上げていき、語尾の tus は dimin. する。アクセント音節が伸びた分、語尾の音節は縮み、テンポが保たれる。楽譜に書かれていないが、これが歌の中での発音の基本原則となる。  ドイツ語では、長母音を長く、密度を上げて発音することになる。このため、長母音、短母音の区別を楽譜にマークするよう言われている。  音の高低については、楽譜で音程が指定されているので動かすわけにはいかない。が、音の強弱や音価は、楽譜に書かれているそのままを歌うのでは不十分、ということだ。確かに、演奏CDを聴くと独唱はもちろんのこと、合唱も不均等な歌い方をしている。ヨーロッパ言語を母語にする人達にとっては、楽譜に書かれていなくても音節を不均等に発音することが自然であり、当然なのだ。  強拍・弱拍どちらに位置するか、音価の長短など、作曲も不均等を意識しているものだが、そうなっていない箇所もある。やはり、意識しながら歌うことが必要だ。  この不均等の歌い方はまた、歌詞の言葉に基づいて、アーティキュレーション、フレージングが生じていくということにもなる。  以上は単語レベルの基本原則だが、合唱団の練習では、アーティキュレーション、フレージングの指導はもっときめ細かい。  単語レベルだけでなくフレーズのレベルでも、歌詞の意味上、また音楽の構造上、強調される箇所の密度が上がり、これに向かって cresc. 、dimin. することになる。あるいは、長い音価の音符で、一つの音の中で cresc. 、dimin. する、などもある。  楽譜に書かれていないが、歌詞の言葉に基づいて表情がつけられる。  独唱者が歌うのと違って、合唱はあまり表情をつけず「ニュートラル」に歌うべきもの、と私は考えていた。どうもそうではないようだ。  日本語の文章を、抑揚を付けずに音読すれば「棒読み」と言われてしまう。ラテン語やドイツ語の歌詞を歌う場合も、アクセントや長母音を意識することが大切で、それが無ければ「棒歌い」になってしまう。音取り用MIDI音源は、正確に均等な音価だし、強拍・弱拍も違いがないので、全く一本調子で無機的、表現性無く聞こえる。  それに比べて、アクセントや長母音による音節の不均等、強拍・弱拍、フレーズのcresc. 、dimin.を意識して歌うと、確かに表情が付き、ニュアンスを持った生きた感じの歌になってくるのだ。  過度にやると、情感過剰のネチネチした歌になってしまうかもしれないが、私などが歌うのではそこまでは出来ず、心配には及ばないだろう。  この音節の不均等な発音は、われら日本人にはなかなか自然にはできず、個人練習の課題だ。  ここでも、繰り返して歌うことが練習だが、その際にアクセント(ドイツ語歌詞の場合は長母音も)を十分意識しながら歌うことがポイントだ。アクセント、長母音をマークしたことが、ここで活きてくる。  また、演奏CDを丹念に聴くことが大いに参考になる。私は、ドイツ語、英語の曲なら、それを母語とする国の合唱団体の演奏を聴いている。ラテン語の曲は、教会ラテン、ジャーマンラテンのどちらで歌うかで、それを得意とする合唱団体の演奏を聴くことにしている。  繰り返し練習をしていくと、だんだん言葉に基づくアーティキュレーション、フレージングになってくる。コツを覚えると、歌が楽しくなってくる。アクセント、長母音のマークさえあれば、慣れるのはそう難しいことではない。 ■練習末期の個人練習  演奏会の日程を意識するようになると、合唱団の練習も仕上げの段階に入る。これまで練習してきたアンサンブルや、アーティキュレーション、フレージングを確認しながら、さらに総体の音楽づくりということになる。テンポやダイナミクスの指示も変わるかもしれない。  まずは、顔を上げて指揮を見るようにしたい。この時期には、旋律・歌詞をほぼ記憶していて、次のフレーズ・言葉が口に出てくるようになっているはず。楽譜を見るにも、現在歌っている箇所を見るのでなく、先の箇所を見るようになっているはず(そうしないと、拍前に子音を発音できない)。それが確実にできている状態ならば、顔を上げて指揮を見ることができる。  また、パート内の揃え、他パートとのハーモニーの精度も一層緻密にしなくてはならない。自分から合わせていく歌唱を心掛けている。  この時期の個人練習は、合唱団練習日に注意、指摘されたことを次に持ち越さないよう、復習してちゃんと修正し、それを定着させておくことだ。少しでも不安な箇所があれば対策しておく、といったことになるだろう。  さらに演奏会が近づく時期には、合唱団練習日に一曲一曲を歌うにも、これが演奏会本番、次は無いという意識で臨むようにしている。いつでも、どの曲でも、自分のできる最善の歌を歌える状態にするということだ。曲ごとに異なる意識、感情を瞬時に整えて歌に入り、ダイナミクスや注意すべき箇所などに集中しながら歌い上げるということになるが、言うは易く行うは難し、だ。  この時期は一応歌えるようになっていて、個人練習も正直、飽きがきている。(*あくまで個人の感想です) ついつい、ぼーっと流して無自覚のまま歌ってしまうのだが、それでは練習になっていない。個人練習も、明日が本番という覚悟で歌うべきなのだろう。  最後は体調の調整だ。風邪などで喉をやられてはいけない。良い体調を、演奏会の日にうまく維持できると良い。