2026年4月11日ダイアモンド・コンサートのヴェルディ「聖歌四篇」、オルフ「カルミナ・ブラーナ」 2025年12月
ダイアモンド・コンサートは、松村 努氏指導の合唱団320人が合同して歌う演奏会だ。今回の曲目は、ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)の「聖歌四篇」とカール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」。 ヴェルディの「聖歌四篇」は、1887年から1897年にかけて作曲された宗教曲4曲 -「アヴェ・マリア」、「スターバト・マーテル」、「ラウディ・アラ・ヴェルジネ・マリア」、「テ・デウム」- をまとめて上演する。 4曲それぞれ良い曲で、旋律を反復することなく次々と変化させていき、起伏に富んで聴かせどころが満載だ。 楽譜を見ると臨時記号(♯♭)だらけで難しそうだが、旋律に慣れてしまえば意外と歌いやすい。pppからffまで強弱記号の幅が広く、cantabile(歌うように)、dolcissimo(きわめて甘美に)、morendo(絶え入るように)などの発想標語がうるさいほどつく。さらに速度の変化も細かく指示がある。表現のレンジを大きく広げて歌うことが求められている。 4曲それぞれ、宗教曲としては過剰なほど人間味のあるこってりとした曲だが、その世界に入るとはまる感じ。やはりヴェルディは歌曲の名人だ。 1曲目の「アヴェ・マリア」、3曲目の「ラウディ・アラ・ヴェルジネ・マリア」(これは女声だけの四部合唱)は、どちらもアカペラ(無伴奏)の曲。協和音が純正律で合えば、繊細な美しいハーモニーになる。しかし難しい。 2曲目の「スターバト・マーテル」は、前半で母マリアが見守る中でイエスが十字架に架けられ息絶えていく場面が描写され、後半ではその後の宗教的昇華が表現されている。最後は、合唱がpppからゆっくりクレッシェンドし、ffまで盛り上がる。 4曲めの「テ・デウム」は男声合唱の祈りで始まり、混声四部2組のドッペル・コール(二重合唱)が、強弱・緩急をつけ、何度も転調しながら、フーガも取り入れるなど技巧をこらして旋律を紡いでいく。この曲の最後も、ソプラノ・ソロがクレッシェンドし、合唱のffで終える。 大人数の合唱でヴェルディの作曲意図を出せるかどうか、歌いがいがある。 オルフの「カルミナ・ブラーナ」は、2016年1月に同じダイアモンド・コンサートで歌った曲だ。以下は10年前に書いたものだが、曲への感想も練習の所感も変わっていないのでそのまま再掲する。 ================================================================== この曲は、単純な旋律・ハーモニーを反復し、リズムを変化させて躍動する、原始的というかスポーツ的というか、生命力を感じさせる曲だ。この曲は、もともとがダンスを伴い、視覚と聴覚で感じる舞台芸術の曲で、耳で聴くだけの音楽ではないという。CDで聴くだけ、合唱を歌うだけでは少々つまらなく感じるが、なるほど、ダンスも加わるなら、繰り返されるメロディーやリズムも生きるだろう。それなら腑に落ちる。 これまで歌ってきた、複雑な旋律、美しいハーモニーで構成される宗教曲とは、作曲のコンセプトが違うのだ。何か深遠な世界が奥に隠れているわけではない。合唱としては、リズムに乗ることを楽しみ、余計なことを何も考えずに歌う曲だ。「余分な理性を捨てて歌いなさい」という指導もあった。そういうコンセプトであり、それで良いのだ。 曲の歌詞は、19世紀初めにバイエルン州の修道院で発見された詩歌で、13世紀頃に修道僧や学生たちにより書かれたものと推測されている。修道院という背景のわりには歌詞内容に宗教色がなく、人生、世相、恋愛、酒、賭け事などを風刺的に書いたもので、全くもって世俗的だ。道徳的、禁欲的な修道院の生活への反発か。文学的に洗練された質の高い詩歌ということではなく、日本の中世の落首、戯れ歌のような性質のものだ。修道院の図書室で発見されたというが、こうした内容のものがよく保管されていたものだ。 逞しい生命力に満ちているが、全体を通すと虚無主義や享楽主義のような退廃的な印象も漂う。それゆえに現代に通じる新しさも感じられるわけで、その点どういうことなのか疑問だった。 発見された大昔の詩歌という設定でオルフが詞を創作したものか、とも疑ったが、原文は実際に昔のものらしい。ただ、300以上の詩歌から、オルフが部分部分を取捨選択して、20ほどの歌詞に再構成したということだ。これによって、作曲者オルフの現代人の意識が反映されている、ということなのだろう。 この曲については、もう一つ疑問がある。作曲者カール・オルフは、1895年にミュンヘンで生まれ、1982年に同地で没した人だ。この曲の初演は、ナチスドイツ時代の1937年、ドイツ国内でだ。この曲とその時代! ナチスドイツらしからぬハメを外した音楽であり、どうも違和感がある。オルフもまた、時代の中で生きなくてはならなかった一人だったろうに。 ナチス推奨のドイツの伝統的音楽文化の延長上の曲、ではない。旋律は、当時の先端的な十二音音楽でなく、調性を守っていてわかりやすい。だが、リズムは裏拍を多用したジャズっぽい箇所があり、歌詞とともに、ナチスの文化官僚に退廃音楽と批判されそうな曲と思える。当時はさほど有名でなかったオルフの、さほど話題にならなかった曲で、注目されずに済んだのだろうか。ひそかに時代を風刺したオルフの抵抗の曲、というほどのことでもなさそうだ。どうもよくわからない。 合唱を歌う側に戻ると、歌って難しいのは歌詞だ。ミサ曲のような決まり文句でなく、全く馴染みのない単語のラテン語、一部ドイツ語古文の羅列だ。急速テンポ、リズムの曲では早口言葉のようになり、大変難しい。何度も繰り返して口に慣らすほかないのだが、練習してもまるで慣れず、空しくて面白くないのだ。1,2小節の短い単位で3回ずつ繰り返す練習が効果あることを見つけて、これを1週間毎日続け、ようやく前に進むことができた。早口言葉の音読、滑舌の訓練で、認知症予防になるだろうか。 音に乗りにくい歌詞の言葉とともに、リズムに乗った演奏がアーティキュレーション記号、強弱記号、速度記号で細かく指示されていて、声を上手くコントロールすることが求められている。全くスポーツのようだ。今回は400人という大勢の合唱だが、一人一人がちゃんと歌えて揃えられるように練習するほかない。どこまでできるか。 ================================================================== 音楽の三要素はリズム、メロディ、ハーモニーと言われる。ヴェルディの「聖歌四篇」がメロディ重視とすれば、「カルミナ・ブラーナ」は、メロディ、ハーモニーは単純でリズム重視の曲だ。何故なら、本来バレエを伴う舞台作品であり、合唱は舞踏の背後の音楽であるためだ。今回のような合唱だけでバレエを伴わない演奏は、いわば略式の上演というべきだろう。 ネット上に「3分でわかる! バレエ『カルミナ・ブラーナ』」という動画があるのを見つけた。2010年の新国立劇場バレエ団・新国立劇場合唱団の公演を要約した紹介動画だ。運命の女神フォルトゥナを追いかけて修道院から飛び出した神学生たちが、妖艶な女神に翻弄され破滅していく、というストーリーで面白い舞台になっている。 これまでカルミナ・ブラーナという曲をどう解釈し、合唱としてどう歌ったらよいか、確信を持てなかった。このバレエ公演の解釈が妥当かはわからないが、そうした他愛ないストーリーと思えば腑に落ちる。10年前の感想どおり深遠な意味は無いのだ。ハチャメチャでナンセンスな内容を、目の前でバレエが踊っていると思ってリズミカルに歌えば良いのだ。やってやろうじゃありませんか。