仙台・相馬・福島 - 以前訪ねた相馬を行く 2014年6月

●テーマ  以前に訪れたことのある相馬市を自転車で行く。  東日本大震災から3年後の様子を見る。  ルートの詳細は、 http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=44c377b150decd3dd489a65dfd82f788 ●第1日 6月3日(火)  東京駅10時20分発「はやぶさ13号」で輪行。  車両最後列の座席を指定し、座席後ろの50cmほどのすきまに輪行袋に入れたロードバイクを置くことができた。2列の後ろでは縦に置いても少々はみ出るので、3列の方の後ろに横に置かせてもらった。  仙台駅着11時52分。  駅ビルでラーメンを食べ、自転車を組み立て、出発。  曇り気味で25度以下、走りやすい天気だ。  まずは、若林区荒浜へ。仙台駅付近は台地になっており、途中どんどん下る。  工事中の荒井地区土地区画整理事業区域があった。震災復興事業ではなく、震災前からの事業だが、復興市営住宅もできるようだ。  土手状の仙台東部道路をくぐると、荒浜地区。稲田が復興されていたが、住宅跡も点在。海際に聖観音像が建立されていた。合掌。  仙台東部道路は亘理で常磐自動車道に直結する高速道路だが、9mの盛り土構造で内陸の被害を抑える働きをしたという。この道路に沿って名取市まで行く。  海側には仙台空港まで県道10号があるのだが、工事関係の大型車がひっきりなしに走っており、とても自転車が走れるような状況ではない。したがって、被害が甚大だった海岸近くは通っていない。  仮設復興商店街が被災各地にあるので、これを目指していくことにしていた。名取市では閖上(ゆりあげ)地区の「閖上さいかい市場」に寄り、小休止。周辺は新たな戸建ての団地になっていた。  南には仙台空港があるので、より内陸側の国道4号、続いて6号で南下。岩沼市を通り亘理町へ。  亘理町では、6号線から折れて跨線橋を渡った。常磐線亘理駅の東側にあるはずの「ふるさと復興商店街」が目当てだが、見つからず。少し奥まったところにあったようだ。  6号線を南下し、山元町に入る。6号沿線の国立病院機構宮城病院に隣接して、仮設住宅と「合戦原仮設店舗」があった。水と和菓子を補給と思っていたが、それらしい店が無く残念。  昼食のエネルギーが既に切れ始め、脚に力が入らなくなってきたので、沿線のコンビニで補給。アンパンを食べるとすぐに復活し、またガンガン走れるようになった。  6号線は、丘の張り出している部分で20mほど登り、また下るを繰り返す。勾配は緩いので、前ギアはアウターのままで走れる。下って平地に近くなると、「ここより東日本大震災で浸水した区間」という標識がある。登りに入って少しすると「ここまで浸水区間」という標識だ。標高と被災がそのまま結びついている。  このあたりの6号線は海よりになってきており、津波被災地の中を走る状態だ。さらに海側に常磐線が走るのだが、亘理町の浜吉田駅より南はいまだ運休している。  気になったのは、基本は現地復興ということか、被害があったであろう平地部分の、元の場所で家も事業所も農地も復興していることだ。復興特区制度は打ち出されたものの、移転やかさ上げを可能にする事業スキームが結局できなかった。あの規模の津波が発生する確率は小さい、という実際的な認識もあろう。  そして新地町。6号線の海側バイパスを行く。新地発電所付近は、相馬市にまたがる工業団地地区だが、海に近い平地で、発電所を含めて被害は甚大だったろう。今は、工場がほとんど建っていない。グーグルマップでは、グレーに塗られている広大な土地だ。  これを抜けて相馬市街地に入り、宿の「ホテル・エムアンドエム」に6時20分ごろ到着。  宿は前日に10軒近く電話し、ここがようやく一部屋空いていた。工事関係の人でどこも満室のようだ。  付近の大きな事業として、相馬港・相馬漁港の工事、常磐道の延伸工事が動いている。エムアンドエムは最近できたホテルで、どうも工事関係の長期滞在向けという感じ。駅から遠いし、仮設建築で設備は最小限だ。  朝食はあるが、夕食はつかないので、近くの焼肉屋で夕食。前夜睡眠不足だったので、早く就寝。しかし、部屋が暑くて寝苦しく、4時くらいに目覚めてしまう。  この日の走行距離 81.3km。 ●第2日目 6月4日(水)  この日は、南相馬市までさらに南下しようと計画していたが、気温の上昇、寝不足の体調を考え取りやめた。相馬市内を回って早めに丸森町に行くことにした。  相馬市には、震災の前年に一度訪れたことがある。次女が相馬市内の工場に赴任したので、妻とともに行き、電気製品やスクーターを買うのを手伝った。この時は、仙台まで往復新幹線、仙台から相馬はJR常磐線で往復した。今回のルートは、その行程をたどる形だ。  震災直後は、ニュースで相馬市に7mの津波との予報があり心配したが、次女から無事とのメールが届き安堵した。  次女の工場は津波被害はなかったが、地震被害があり操業休止。しばらくは原発の状況、放射性物質放出の情報が現地で不足するので、私から伝えていた。結局、次女はしばらく滞在したが操業再開の見通しがすぐに立たず、転勤になった。  相馬市の津波被害の状況は、他の各地の報道に隠れて、ほとんど伝わってこなかった。放射能問題については、飯館村が南西に隣接するが、相馬市には放射能の雨は及ばなかったようだ。今は、津波の被災範囲を地図に落としたものが出ている。  国土地理院 10万分の1浸水範囲概況図 相馬市付近     http://www.gsi.go.jp/common/000060134.pdf  東日本大震災被害状況専門サイト 相馬市の被害状況     http://ranasite.net/?p=1478  相馬市街地は、まず宿近くのケーズデンキに行ってみる。次女の電気製品を買った店だ。  このあたりは被害無く、向かいのイオンとともに、健在なのは何よりだ。  次に、相馬駅。  常磐線は相馬駅から南側の原ノ町駅までは運行している。また亘理までの代行バスが駅前から発着していているので、駅として機能して人が集まっていた。この日は、小学生たちが遠足に出るのか先生に引率されてにぎやかだった。  以前食事した駅前の中華料理店も健在。駅付近は津波被害は無い。  スクーターを買ったバイク屋も、住宅地の中でそのままだった。地元なまりで応対してくれたオヤジの姿もあって、忙しそうにしていた。良かった。  相馬には復興商店街が2か所ある。その一つ「塚田地区仮設店舗」に行ってみたが、まだ早くて開店していない。  津波被災地の松川浦に行ってみる。  岬になっていて、海沿いから背後の斜面に住宅、旅館、民宿が密集している。砂州があるので、津波は直撃ではなかったようだ。  現地復興だが、高台への避難はできる土地だ。護岸工事がさかんに行われていて、水際に近づけない。  岬突端の原釜漁港は、倉庫建物は新築されていたが、こちらもケーソンが積まれ、護岸工事中だ。漁船が相次いで戻ってきていた。漁業は試験操業が行われているようだ。  隣接の海水浴場と後背平地は原釜地区で、外海に面し、津波被害が甚大だった所だ。住宅が密集していたであろう。がれきこそ無かったが、空き地のままであった。  海際に慰霊碑があり、相馬市内の犠牲者458名、そのうち原釜地区周辺の207名の氏名が刻まれていた。裏手の高台への避難が遅れたのだろうか。消防と注記された方、横浜市が住所の方の名もあった。合掌した。  相馬港付近は、防波堤の復旧工事が行われていた。  相馬港から西はすぐに、昨日通った相馬市・新地町の工業団地だ。国道113号で常磐線を越え、駒ヶ嶺駅へ行く。  水田の中の小さな駒ヶ嶺駅は、以前訪れた時の帰途、ここから乗車した駅だ。今は、JR常磐線は運休していて線路は草が伸び、ホームも荒れている。  代行バスが、ちょうど寄っていった。数人の乗客で、ここでの乗降はなかった。駅の駐輪場には20台以上の自転車があったので、通勤通学には使われているのだろう。  ここは、駅の海側までが津波被災地区であった。常磐線線路が盛り土構造なので、防波堤の役を果たしたようだ。今は、駅の海側も水田に稲が伸び、その先に新地発電所があって、一見以前と変わらない風景なのだが。  相馬市域に戻り、次女の赴任していた工場の脇を通って、大野台の「西地区仮設店舗」を目指す。  丘の上、工業団地の端にあった。仮設店舗は郵便局や食料品・日用品を売る店もあって、近くにある仮設住宅に住む人々のための臨時店舗だ。昼前で、お客が途切れず来ていた。弁当類を売っていたので、冷やし中華と焼きおにぎり1個を買い、昼食。  相馬市での予定を終え、丸森町の国民宿舎あぶくま荘に向けて出発。  しかし、国道113号線に入る交差点で、左足のビンディングがうまくはずれず、バランスを崩して小転倒。膝を擦りむいた。手首、足首もひねって痛むが、走れる程度。ロードバイクは、フレームのゆがみはなさそうだが、前ブレーキのセンターがくるい、片効きになった。応急措置をして走り続ける。  113号線は、大型車両の通行量を心配したがさほどではなく、走りやすかった。宮城県に入る県境にもなる大沢峠はちょっとした登りだが、150mほどの標高差で大したことはない。相馬市・福島市間を、国道115号で行く案もあってその方が近道だが、霊山の峠が500mで復興工事車両も往来しているらしいので、113号を選んだ。ロートルの私には正解だ。  丸森町に入り、大内集落に国民宿舎への入口標識があったので、ここから入る。やはり150mほどの山を越えて、2時頃にあぶくま荘に到着。山の中、谷川沿いでキャンプ場も近い。一方、滞在型クラインガルテンと農産物直売所も隣接している。  人工温泉だがこれに入り、ビールを飲んで1時間ほど昼寝。周辺を散歩して、もう一度温泉、とのんびりした。  この日の走行距離 43.7km。 ●第3日目 6月5日(木)  この日は、阿武隈川沿いに国道349号を西進して福島市に行く行程だ。そこで、さらに高湯温泉まで足を伸ばしてもう1泊するか、そのまま新幹線に乗って帰るか、天気の状況で判断することにする。  あぶくま荘では、iPad mini が圏外になってしまい、家にメールができず、詳しい天気予報を見ることもできなかった。Docomo回線だが、格安SIMなのでダメらしい。  大内集落に戻り、iPad mini で予報を確認。天気が崩れる予報で、この日は昼過ぎから雨、翌日は曇り時々雨。無理をせず、雨の前に福島市に着き、そのまま新幹線に乗ることに決定。  国道349号は楽しい道だった。丸森の町で入りしばらくは、幅員が広くしっかりした2車線。その割には通行量が少なく、左手には阿武隈川が流れ、アップダウンもあまりない。自転車にはうれしい道路だ。しかし、そのうちいつのまにかセンターラインも無い狭い道路に。路面も荒れて、3桁国道にしても随分な道になった。阿武隈川沿いで、アップダウンなし、交通量なしは同じなので、速度は落ちるが走りは楽しい。  福島県に戻り、伊達市。阿武隈川もちょっと不思議な川で、丸森町付近では中流らしい景観だったが、上流のはずの伊達市で川幅広くゆったり、逆に下流のように見える。これをところどころで眺めながら走るのは楽しい。  伊達の市街地で、399号線に乗り換え。さらに6号線に入れば福島市だが、そのまま直進すると飯坂温泉だ。空模様を見て、飯坂温泉から福島駅へ私鉄も使えるので、高湯温泉に代えて飯坂温泉で一風呂浴びることにする。  飯坂温泉駅に11時半頃到着。駅前の観光案内所で日帰り温泉と昼食のお勧めを聞き、駅そばの共同浴場「波来湯(はこゆ)」に入り、「万来」で飯坂ラーメンと餃子。ちょっと足りないので、隣の「十綱食堂」でかつ丼。昼食後、雨が降りだした。  飯坂温泉駅から福島駅までの福島交通飯坂線は、平日昼間、自転車でそのまま乗り込めるサービスをしているのでこれを使う。車両内に自転車を置くラック等の設備は無く、長椅子に並行させて自分で支えてくれ、とのこと。ローカル線の空いている時間なので、 これで良いのだろう。  福島駅に到着し、自転車を輪行袋に入れて新幹線に。14時50発やまびこ48号。やはり、車両最後列をとり、後ろのスペースに置くことができた。16時42分東京駅着。自宅には17時半頃到着。  この日の走行距離49.6km。  3日間の合計 174.6km(メーター上)。獲得標高 841m(ルートラボ上)。 ●装備  ・自転車     ・ブリジストン NEO-COTロード     ・台湾 オウルアイ製USB充電ライト ・バッグ類     ・輪行袋     ・ドイターリュック     ・リクセン フロントバッグ ・身に着ける     ・時計、財布(保健証、カード類、鍵も) ・ハンカチ、ティッシュ ・フロントバッグに入れる     ・地図コピー     ・携帯食        ・日焼け止めクリーム     ・iPad-mini、筆記用具 ・メモ帳、携帯電話、ウェットティッシュ     ・レインジャケット、レッグウォーマー、新聞紙     ・バッグレインカバー ・リュックに入れる     ・輪行袋、工具(六角レンチ、CO2ボンベ)、ビニル袋     ・着替え、洗面具、ティッシュ予備     ・USB充電器、コード ●服 ・ライド時        ・ヘルメット、眼鏡、サングラス     ・七分丈レーパン1 ・サイクル短パン+パッドアンダーパンツ1     ・半袖ジャージ1、白Tジャージ1 ・長袖アンダー1、袖なしアンダー1     ・レッグウォーマー1     ・レインジャケット1     ・靴下2     ・グローブ 指先無し1 ・往復時     ・七分丈レーパン+レッグウォーマー     ・半袖ジャージ+長袖アンダー ・宿泊時    ・ユニクロステテコ1、Tシャツ1